歴史スポーツ公園 万葉歌碑(地図④)

太宰府歴史スポーツ公園地図(万葉歌碑 歌碑A~歌碑J )

万葉歌碑(下表10ヶ所 歌碑A~歌碑J )をクリックすると、説明文に飛びます。

歌碑A 歌碑B  歌碑C  歌碑D  歌碑E
歌碑F 歌碑G 歌碑H  歌碑I 歌碑J

大伴旅人おおとものたびとをはじめ、梅花の宴ばいかのえんで作られた歌が32首収められる等、大宰府でつくられた歌が万葉集に多く収められています。
太宰府歴史スポーツ公園には、「万葉の散歩道」が作られており、多くの万葉歌の歌碑が建てられています。

歌碑A

歌碑:たちばなの花さとのほととぎす 片恋かたこいしつつおお
作者:大宰帥だざいのそち 大伴旅人おおとものたびと   (大宰帥:防衛ぼうえい外交がいこう、九州の行政ぎょうせいつかさど長官ちょうかん
解説:たちばなの花さとのホトトギスは、片恋かたこいをしながらく日がおお
旅人たびとは、大宰府だざいふで、最愛妻郎女つま いらつめくす。弔問ちょうもん儀式ぎしきの後、旅人たちは、弔問ちょうもん勅使ちょくしと共に、四王寺山しおうじやまに登り、ほととぎすに悲しい思いをたくしてこの歌をんだ。

歌碑B

歌碑:しろがねも くがねたまも なにせむに まされるたから にしかめやも
作者:筑前ちくぜんのかみ 山上憶良 やまのうえのおくら  (筑前守:当日筑前国(今の福岡県西部)をつかさど知事ちじ
解説:銀も、金も、珠玉しゅぎょくも、どうしてすばらしい宝の子どもに及ぶだろうか
とても子煩悩こぼんのうであった憶良の子供等を思う歌の反歌。

歌碑C

歌碑:いにしえの ななさかしき ひとたちも  りせしものは さけにしあるらし
作者:大宰帥 大伴旅人
解説:いにしえ七賢人しちけんじんもまた、ほっする物はもっぱらさけであったらしい
旅人が酒をたたえてんだ十三首の一首。「古の七の賢しき人たち」とは中国の七賢人しちけんじんのこと。

歌碑D

歌碑:たまくしげ 蘆城あしきの川を 今日きょう見ては  萬代よろずよまでに 忘らえめやも
作者:不詳
解説:(玉くしげ)葦城あしきの川を今日見て後は、万代よろずよまでも忘れることができようか
大宰府の官人は、任を終えて都へ帰る同僚の送別そうべつ宴会えんかい蘆城あしきもよおしては名残なごりしんだ。

歌碑E

歌碑:うめはな らくはいづく しかすがに この城の山きのやまに ゆきりつつ
作者:大宰大監だざいのだいげん     大伴百代おおとものももよ
解説:梅の花が散っているのはどこのことだろう。そうは言つても、この城の山に雪は降り続いている
梅花の宴で詠まれた歌の一つ。大宰府の官人であった百代が詠んだ。

歌碑F

歌碑:はるに 霧立きりたちわたり ゆきと ひとるまで うめはな
作者:筑前目ちくぜんのさかん 田氏真上でんしのまかみ
解説:春の野に霧が立ちわたって、降る雪かと人が見間違えるほどに梅の花が散るよ
梅花の宴で詠まれた歌の一つ。

歌碑G

歌碑:いちしろく  しぐれのあめは らなくに  大城山ああきのやまは いろづきにけり
作者:不詳
解説:時雨は目だって降ってもいないのに、大城の山はいろづいたなあ
作者は不明であるが、眼前の色づいた大城山の景色に感動して詠んだ歌。

歌碑H

歌碑:いもし あふちのはなりぬべし わが泣く涙いまだなくに
作者:筑前守 山上憶良
解説:「つまが目にしたあふち(センダン)の花は散ってしまうであろう。私の泣く涙はまだ乾かないのに」
妻を亡くした旅人をいたみ、憶良が旅人の気持ちになって詠んで献げた歌。

歌碑I

歌碑:湯原ゆのはるくあしたづは がごとく いもふれや ときわかず
作者:大宰帥 大伴旅人
解説:「湯の原に鳴く芦鶴は、私のように妻を恋しく思うからか、いつもいつも鳴く」
大宰府で妻郎女つまいらつめを亡くした旅人は、二日市温泉へ湯治とうじに来た際、鶴の鳴き声を聞き、悲しみを詠った。

歌碑J

歌碑:筑紫つくしなる にほうゆゑに 奥陸みちのくの かとり娘子おとめの ひしひもとく
作者:不詳
解説:筑紫の匂うように美しい乙女ゆえに、陸奥みちのく香取かとり乙女おとめむすんでくれたころもひもをとくことよ
作者は東北から九州に派遣された辺境へんきょう防衛ぼうえい防人さきもりである。
防人の中には九州の娘と結婚して、九州の地に住みつく者もいたという。